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2019年のGWは「クリスチャン・ボルタンスキー− Lifetime」展を見ていた

Googleフォトを開くとタブの一番上に”思い出”という何年か前の同時期の写真がピックアップされる機能があるじゃないですか。

何気なく写真を見ると、ちょうど1年前に大阪・中之島にある国立国際美術館へ「クリスチャン・ボルタンスキー展」を見に行ってました。
許可された展示物のみ撮影可で、その写真がちょうどピックアップされて「この展示凄かったなぁ」と思い出したのです。
緊急事態宣言下で美術館へも足を運べない今、備忘録も兼ねて振り返ってみたいと思います。

「クリスチャン・ボルタンスキー − Lifetime」展を観に、国立国際美術館へ

フランスを代表する作家の一人、クリスチャン・ボルタンスキー。

とかいうことは全く知らなくって、今回展示を見に来たのはこのポスターに惹かれて。

クリスチャン・ボルタンスキー

クリスチャン・ボルタンスキー
1944年パリ生まれ。
60年代後半に短編フィルムを発表し、70年代からは写真や身分証明書といった記録資料と衣服や文房具といった日用品を組み合わせることで、自己あるいは他者の記憶に関連する作品を制作してきた。
80年代に入ると、明かりを用いたインスタレーションにも取り組み、子供の肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせた「モニュメント」シリーズ(1985-)や、パリのグラン・パレの広大なスペースを生かし、大量の衣服を集積させた《ペルソンヌ》(2010)などを発表。
いずれの作品も一貫して、歴史や記憶、死や不在をテーマとしている。 

引用元:クリスチャン・ボルタンスキー − Lifetime

 ポスターの写真からも、生死観や宗教観の強い展示なのかなと思ってました。
事前に予習せずまっさらな状態で地下の展示会場へ。

《出発》

会場へ入ると”DEPART”と書かれた青いランプがまず目に入る。
《出発》(DEPART/フランス語)という作品だそうだ。

咳をする男

次に展示されていたのは映像《咳をする男》

引用元:“L’homme qui tousse” (Boltanski, 1969)


ヘッドホンをして男が嘔吐く映像を見る。
今にも死んでしまいそうな程苦しげに血反吐を吐く男を見ながら、正直なところ「どえらいもん見にきちまったな」という感じだった。
たくさん血を吐いてるな、顔が隠されたこの男は死ぬんだろうか、色んなことを思いながら映像を見ているうちにだんだん鑑賞モードに頭が切り替わる。
作品の解説はこちらが詳しい。

《スピリット》

クリスチャン・ボルタンスキー

天井から垂らされたヴェールにイメージがプリントされている作品。
肖像画も多く、どういった経緯でこのイメージはプリントされたのか、今どうなっているのか、写った人々の過去や現在に思いを馳せる。

会場には心臓音が鳴り響いている。
展示物を見ながらずっと聴いていると、今ここにいる自分も、遠く離れたどこかの誰かも、同じように心臓が動いていて生きていて、そしていずれその鼓動は止まるんだとぼんやりと思う。

《モニュメント》

《モニュメント》はポスターになっていた作品。
展示室に入る時、これが見たくてこの回顧展へ来たんだと楽しみなような怖いような、そんな心持ちで足を踏み入れた。
積まれたタイルには無名の子供達の写真が飾ってあり、薄暗く光る電球はロウソクのようで、さながら遺影が飾られた祭壇だ。
それぞれ人種も育った環境も異なる世界中の人々がこの作品を観て「祭壇だ」と感じることがとても不思議な気がした。
いくつもの祭壇のある空間は厳かな教会のようだった。

《黄昏》

クリスチャン・ボルタンスキー

ガラスの向こうの展示室の床に無数の電球が敷きつめられ、展示会の期間中に毎日2個ずつ消えていく《黄昏》
国立国際美術館の会期は5月6日までで、訪れたのは5月3日。
もうほとんどの電球が消えていて、3日後の展示が終わる時には全ての電球が消えてしまう。
少しずつ消えていく電球は、終わりへ向かう命の象徴。
死は平等で、皆終わりへ向かって生きていく。

《アニミタス(白)》《アニミタス チリ》

左右に展示されてる《アニミタス(白)》《アニミタス チリ》

クリスチャン・ボルタンスキー
クリスチャン・ボルタンスキー

雪原や草原に立てられた無数の細長いの先に風鈴が吊るされており、風に吹かれて揺れている。
「アニミタス」はスペイン語で”小さな魂”という意味らしい。
無数の風鈴が風に吹かれて小さくリンと鳴る様は、まるで鎮魂の祈りだった。

《ぼた山》

クリスチャン・ボルタンスキー

《アニミタス》の先には《ぼた山》が。
黒い古着のジャケットが山ほど積み上げられている。
持ち主のないジャケットは着ていた人々の不在、死の象徴?

《到着》

瞑想をしているような、現世と死後の世界を彷徨っているような心持ちで様々な展示を見続け、最後の作品は《到着》(ARRIVEE/フランス語)。
最初に展示されていた《出発》の対となる作品。
人は生まれ落ち人生の出発となって、命が尽き魂になった時、どこかまだ知らない場所に到着できるんだろうか。

***

会場から一歩出ると、一気に息がしやすくなった。
知らず知らずに呼吸が浅くなっていたみたいだ。

国立国際美術館は完全地下型の美術館で、地下2階、1階に展示会場があり、鑑賞が終わればエスカレーターに載って地上のエントランスまで上がっていく設計になっている。
エスカレーターに載って地下から日光の射すエントランスに上がっていくと、これもまた新たな《出発》のようで、この美術館の構造すらもボルタンスキーの展示の一環のように感じたのだった。

自分自身と向き合う時間

写真の撮れた作品や印象的だった作品や心境を振り返ると、展示を見た当時ほどではないけど消耗しました…。
展示作品の動線があまりわからなかった覚えがあるけど、今思うと鑑賞者は作品に対する彷徨う霊魂のような存在だったのかなと。
作品を通して生死観を、また自分自身と向き合う時間だったと思う。

その日、展示を見終わって国立国際美術館近くのカフェgrafでジントニックを飲んで頭をほぐして帰りました。

2019年のGWは「クリスチャン・ボルタンスキー− Lifetime」展を見ていた


振り返るにあたって様々な資料を見ていたら、またボルタンスキーの作品を見たくなってきた。


国内初めての大規模回顧展へ行けて良かったです。

ベネッセアートサイト直島でボルタンスキーの作品が鑑賞できます

3年毎に行われている瀬戸内国際芸術祭の会場にもなっている直島には、ベネッセアートサイト直島の一環としてボルタンスキーの作品《心臓音のアーカイブ》が常設してあります。

http://benesse-artsite.jp/art/boltanski.html

ボルタンスキーが収集した世界中の人々の心臓音。
自分の心臓音も採録することができます。

気になった方はぜひ。

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